林権澤監督

林権澤監督についての本、佐藤忠男著『韓国映画の精神-林権澤監督とその時代』目を通す。『曼陀羅』という作品の解説をしていて、読んであらためてこの映画を思い出した。佐藤の解説は的確である。シーンを思い出して再び涙した(京都コマゴールドで昔なぜかみている)。男の友情ってくさくて好きではないが、この映画は友情物語である。私が思うに、韓国版『イージーライダー』といったところか。もっと的確にいえばヶロワックの小説『ダルマバムス』だ。映像的にも林権澤美を発見した。風景をカメラで一点にすえてみせ、遠くから主人公がやってきて、通り過ぎていくまでを長回しするという方法だ。これを『曼陀羅』のバスシーンで覚えていたが、『風の丘をこえて』も効果的につかわれていた(ユーチューブで確認した)。またへたな会話がないところがすばらしい。黒澤はみならうべきだ。というかへたな会話はしない、というのが黒澤だが。でも黒澤は映画のテーマをよく台詞で語らせていてしばしば興ざめしたものだった。林権澤は語らない美をつくりあげた。『風の丘をこえて』の再会のクライマックスシーンがそうだ。これは小説の原作にあるようで、原作のすごさにも驚いた。盲目にさせられる話も驚いた。原作にあるようだ。日本には「ごぜ」という旅芸人がいて、これに高校生の頃はまっていた。斉藤真一の絵だ。さらに「ごぜ」は、それ以前に中国の「ごぜ」の話をラジオで永六輔から聴いている。この永六輔の話の出所が不明である。この永六輔の話が鮮明であった。それが『風の丘をこえて』につながっている。

 

 

葛の葉の子別れ 信太森神社

「ごぜ」の歌で「葛の葉の子別れ」というのがある。「恋しくば訪ね来てみよ信太の森の恨み葛の葉」である。ここが実際にあって、最近といっても半年前だが、偶然みつけて訪ね来たのだ。堺市だ。仕事で行く先のそばだったのだ。めちゃくちゃ感激したのだが、その感激をだれにも伝えられないのがつらい、悲しい。携帯カメラで一人記念写真をとりました。それをアップしてみましょう。初めて写真の表示をつかいます。スライドショウもできるようで、写真にカーソルをあてて、クリックすれば始まるようです。音楽がほしいところですが、その機能はないようです。写真ですが、若干フォトショップで加工して雰囲気を出しています。

「葛の葉の子別れ」は高校時代に斉藤真一が「ごぜ」唄の解説でTVでしゃべっていた。さらに本でも読んだ。さらにNHKの番組にその歌舞伎のシーンを見た。口で筆をかみ、障子に文字を書くという見せ場のシーンだ。写真の中にもそのシーンの絵がある。キツネが正体の母親が、正体がばれたかなにかで、赤ん坊と別れなければならず、メッセージを障子にしたためるというもの。この唄を「ごぜ」が歌うのだが、ごぜ自身が、ごぜの制度で親と幼少期に別れねばならず、この立場であるのだ。またこの唄は出征兵士で別れた子供を思い出す母親が聴いたともいわれている。ごぜの人気のレパートリーなのだ。

 

 

 

 

ヘルダーの彫塑論/ゲーテの色彩論

大きなくくりだが、観念論と唯物論との対比でつかえる。大阪哲学学校で大槻先生の話があり、からみでこのテーマを思い出した。ここでゲーテとつながるヘルダーの「彫塑論」というのがあり、絵画の虚像性と立体(彫塑等)の実体性が語られ、立体の確か性や確実性の優越がいわれている。わたしも思うに、目の見えない人にとって絵画と何かということである。理解不可な部分がほとんどだろう、しかし立体は触ればわかり、あるということが確実である。平面と立体の関係はそれである。立体の方が優越的なのである。で、平面を性格づけると、立体への嫉妬というアイデアがいえる。そこから平面は出発しているのだということである。平面は立体に嫉妬して、立体を真似ようとするが、立体には絶対なりえなくて、ダマすことを考え、錯覚を利用して人をダマすのだ。平面とはそういうものなのだ。で立体とは、物質である。そういう平面と立体を考えることがわたしのテーマのひとつのつもりだ。

ゲーテの色彩論でこれは自然科学の見方ではなく、現象学であると大槻先生に書いてあったが、考えれば確かにニュートンの色彩論に対立するゲーテの色彩論を性格づけるのに、わかりやすい説明といえる。というかわたしは現象学の意味がよくつかめなかったが、これなら納得できると発見した。現象学については、だからなんなんだという思いが強かったが、ゲーテの色彩論はニュートンにはない目の構造からのアプローチであり、そこからニュートンにはない補色や錯覚(ニュートンから補色や色相環は観察できるか)が語られるという点で大きな意義があるのだ。芸術へと導かれる意図もある(宗教性は疑問だ)。現象学を理解するには色彩論がわかりやすい、有益である。

 

2011年

11月

05日

松本史朗の仏教の批判的考察

松本史朗氏の本、大阪の中央図書館にて借りる。『仏教思想論 上』大蔵出版、2004年刊、一万円もする大冊。

 

第1章 仏教の批判的考察のところを見ていく。

最初の文から「仏教であれ、キリスト教であれ、すべて宗教とよばれるものは、人間がつくりだした夢にしかすぎないだろう」。なかなかの出だしだ。

そしてまず、仏教の核心について、中村元の説を批判する。かの、仏教研究の権威者である。その批判である。

縁起論にもとづかない仏教論を説いている、と批判する。

 

松本の仏教の基本は、アートマンの否定ということで、縁起説を説く。禅もアートマンをもち、仏教ではない、とする。

アートマンは基体説という霊魂がある、という説である。

そのアートマン批判は、つまりバラモン批判で、ジャイナ教批判で、ヒンズー教批判である。

又、松本はオリジナル釈尊に依拠していない、その必要をいわない。釈尊の説から導き出される十二支縁起説こそが仏教という。

 

では、縁起とは何か。ここで次に宇井伯寿の解釈を批判する。

宇井は「世界の相依」と解釈する。それを批判し松本は、縁起とは十二支縁起説を説く、という。釈尊そのものが説いたものでもない、ともいう。

 

第1支は無明説であるという。別にある渇愛説は欲望の否定や苦行主義に陥るからダメ。無明とは無知である。そこからくる無明→諸行の因果関係があり、それは不可逆(時間制をもつ)で、宇井の相依性ではダメ。

で、縁起に対する場合でも、基体説からの展開があるが、それもダメ。それの反定立(アンチテーゼ)である。

 

松本曰く

「縁起は哲学であり信条である。釈尊の悟りは、完全無欠な人間になったということではなく、縁起説で生きていこうと決意したということである。

釈尊の縁起説は自己否定にもとづっく宗教的時間を説くもの、である。

 

縁起説はニヒリズムの究極ともいえる。アートマンを否定し続けることをいう。

釈尊の教えそのものが自己肯定であり、涅槃や解脱を語らざるをえなかった。だれが自己否定のみを語る人物を指導者としてあおぐであろうか。

 

基体説は「華厳経」思想であり、大東亜共栄圏の『国体の本義』の思想であり、侵略戦争の思想である。

 

縁起説は「絶対他者」が必要である。超越的な「他者」がなければ、自己肯定する内在主義におちていく。かくして仏教思想というものは、実に、楽天的で現実肯定的な、危機意識を欠いたいい加減なものとなった。わずかに突出した思想家だけが、自己や同一性を否定して厳しい宗教性を獲得しえた」(誰が、誰のこと?)

 

注目の末尾の文から

「釈尊の縁起説、即ち、“仏教”というものは、たえず繰返し自己を否定しつづけることによって、おそらくは「神」を待ち望むような意義をもったものであったと思われる。なぜならば、自己の否定は、「他者」の肯定を含意し暗示するというのが自然な見方だからである。しかるに、もしそうであるとすれば、われわれもまた、たえざる自己否定を通じて、存在する筈もない「神」の出現を待ちつづける以外にないであろう。」

 

 

以上、松本氏の論である。夢にはじまって、神を待ち望むかたちで終わる。仏教もここまできたか、と感慨深い。もうキリスト教である。バルト神学ではないのか?

でも非常に魅力的である。結構賛成なのである。「神」というより、「真実」へのパッションと強い緊張感でいいのでは。それが仏教にかけているもの、というのが私の最近の結論だ。でも松本氏はラディカルゆえにたたかれるだろうな、と予想する。批判仏教自体が袴谷と、松本の分裂で、沈滞したといえる。モンテイロさんはどうしているのだろう。がんばってほしいが。

 

ネットで袴谷憲昭氏と松本史朗氏と論争は

http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/8dc2813a668a94dcbde2ca8455333521

がわかりやすかった。

 

さらに、松本氏とからむ平雅行氏の論考も注目にあたいする。

下記が要領よく解説されている。

http://blog.goo.ne.jp/a1214/c/fe7fdd33817aaef9d28846229653f295

 

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2011年

10月

22日

市民社会とは

この間、市民社会論への再問という問題を考えさせらた。そういう新書版が出て、書評やら講演を聴くやらでいろいろかさなった。でも思うに、ほとんど空気のように、市民社会論が自分の中にあって、それでよしと思ってきたが、実はそうではないらしいのだ。でもその議論も少し首をかしげることが多く、まあこれを機会に市民社会論を考えたい。私としては、市民社会論があったから、なんとかマルクス主義も生き延びることができた、という立場だ。それくらい思い入れが大きい。市民社会論以前のマルクス主義はいわゆるブルジュア社会という規定で打倒・転覆の対象であったが、市民社会論でよりリアリティのある変革論にかわったとみているが。さらに市民社会論は、市民という主体をかかげて、市民運動論であり、市民的自由の獲得の問題であったと思う。したがって、単なる西欧社会へのあこがれという立場とは違う。西欧社会が獲得した普遍的な民主主義を主体的に獲得する運動であり、市民社会は国民国家論の克服も意味している。この間の中東の市民革命もまさに市民社会論で語るべきものだと思うのだがどうだろう。大塚久雄、丸山真男、高島善哉、内田義彦、平田清明、望月清司という一連の流れがあったことは確かで、語彙の問題はともかくいわゆる市民社会論が議論されてきたと思う。それはかなり専門分野もからんでいて一般的な議論ではないが、評価すべき社会科学論とみている。単純な西欧の市民社会がない日本という問題ではないはずだ。市民社会論からグラムシ論やアソシエーション論があったのではないか。それは有効性は終わっていない。

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2011年

10月

22日

柳宗悦

ブログページの実験中です。

柳の評伝の本を京都の中央図書館から借りられましたので、紹介します。竹中均著『柳宗悦・民藝・社会理論ーカルチュラル・スタディーズの試み』明石書店1999、と中見真理著『柳宗悦ー時代と思想』東京大学出版会2003、の2冊。おおいに参考になりました。だいたい鶴見俊輔の書いた評伝が基本なのですが、今手元にありません。紛失です。柳そのものの本は岩波文庫で手元に3冊あります。とりあえず手持ちの資料はそんなもので、一文したためます。

借りてきた本で、竹中氏の本の収穫は、彼のお父さんが姜在彦氏であることと、竹中氏が京都の陶工職業訓練校にいたことがあったことが書かれていたこと。私も少し訓練校はお世話になったところなのです。図案の講師として。図案の講師といっても平面構成とデッサンをうけもっただけですが。これだけで柳については肯定的評価の本だということが予想がつきました。あたっていました。

もう一つの本も、私が気にしていた浄土宗派とアートとの関連の件で明確に書かれてあったので驚くことがあったのでした。しかも柳そのものの文としてあったようです。それは何かというと浄土系の宗派のもとでは、アートが下火になったということ。アートとはずばり仏教美術です。柳も探したが見つからなかった様だ。このエピソードはずっと関心をもっていたことだ。唯研でも私は漫画でかいています。その下火を肯定的にとらえようというのが、私の視点です。中見氏の評価はそれを民藝の課題のように提起しているが、だからこその民藝ととらえたいとおもっています。つまりは浄土系宗派は仏教美術を終焉させたということです。信仰において必要としなくなったことの証明です。

といったことを、「進歩と改革」でとりあげる予定です。

 

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